特別受益の持戻しは、相続における公平性を担保するのがその趣旨ですが、考えてみればおかしな制度です。
だって、自由意志に基づく私有財産の処分について、後から手を加えようというのですから。
特別受益の持戻しのおかしさ
例えば、父親が、二人の息子のうち、家業を継いだ長男には住宅資金を援助し、家を出て会社員となった次男には何もしていなかったとします。
これ自体、父親の自由意志であり、他人からとやかく言われる筋合いのものではありません。
ところが相続はこれを許さないわけです。
この状態で父親が亡くなったとします。
すると、長男にあげたハズの贈与額の1/2の額が長男の相続分から差し引かれ、その分が弟に行くというのが特別受益の持戻しです。(*)
(*):
つまり、受遺者である相続人に贈与された額が、非受遺者の相続人に対して、非受遺者の法定相続分に応じて分配されるということです。
現存する相続財産のパイは変わりませんから、当然その分は受遺者である相続人の相続分から差し引かれます。
詳しい手順は以下に。
「特別受益とは?持戻しとは? 基本的な例」
「特別受益の持戻しの限界。多すぎた贈与は返す必要なし」
もちろん特別受益の持戻しは、相続人が主張しない限り実現しません。
でも、贈与の痕跡さえ示せば、まず認められるのが特別受益の持戻しです。
そこに故人の意志は全くありません。
というより、特別受益の持戻しは、相続人の公平性を目指すあまり、故人の意志に反するという見方すらできます。
だって、上の例では兄と弟とで差をつけたという事実こそが故人の意志だからです。
こういうことを言うと、法定相続分だって故人の意志に関係なく適用されるじゃないかと思うかもしれません。
でも法定相続分は、遺言書という被相続人の意思表示がないときに初めて適用されるものです。
でも、特別受益の持戻しは違います。
贈与の事実によってはっきりと意志が示されているにも関わらず、適用されてしまうのです。
法定相続分と違って、特別受益の持戻しの規定がなくても相続がまとまらないということもないのですから、法律が干渉し過ぎていると思うのは私だけでしょうか?
とはいっても、法は法なので、逆らってもし方ありません。
わたしたちに出来ることは、それに対処することだけです。
被相続人の意志表示による持戻しの免除
意思表示がなければ、特別受益が持戻されてしまうということは、言い換えれば、意志表示さえすれば持戻しが免除されるということです。
民法の特別受益の規定には、被相続人が持ち戻しの規定と異なる意志を示した場合は、そちらの方が有効になることがちゃんと明記されています。(民法903条)
規定と異なる意思表示とはもちろん、贈与の意志のことではなく、その贈与を遺産分割の対象としないという意思表示です。
要するに、自分亡き後、終わった贈与について蒸し返されたくない、特別受益の持戻しはしなくてもいい、してはいけないと言うのであれば、その旨の意思表示が必要だということです。
意思表示の方法、形式までは民法には特に謳ってありません。
必ずしも明示的なものだけではなく、黙示的なものでも、持戻し免除の意志が認められたケースもあります。
例えば、家業に不可欠な設備を二代目に譲ったとして、それが持戻しに遭うのは確かに不自然です。
もちろん、遺言書によって意思表示を行うことが一番確実であるのは言うまでもありません。
遺言書は、残った財産の分配のし方だけを記すだけのものではないということです。
ときに、受遺者から贈与者に対して、働き掛けが必要かもしれません。
ここら辺は遺言をめぐる攻防になります。
ただし、遺言よりも遺留分の権利が上に来ることに変わりありません。
この点は特別受益の持戻しも同じです。
贈与が遺留分を侵害していれば、持戻しはしない旨の遺言があったとしても、侵害された相続人からの請求によって特別受益の持戻しがなされます。
「特別受益の持戻しの限界をくつがえす遺留分」
私が特別受益の持戻しにためらわなかったワケ
ちなみに、こういう疑問をもつ私ですが、実のところ、自分が代理人として経験した相続では、特別受益の持戻しの恩恵を受ける側でした ^^;
私は堂々と、何の気兼ねもなく特別受益の持戻しを主張しました。
それは贈与が故人の意志ではないという確信があったからです。
贈与されたのは不動産でしたが、故人の重病化著しい時期で、受遺者が勝手に名義変更したことは明らかだったのです。
だとしても、名義変更そのものを無効にするためには、訴訟を起こすしかありません。
しかも推定無罪が働く裁判で勝つことは、そう簡単なことではありません。
これが遺産分割調停では、贈与の事実を示しだけで、遺産として取り戻すことができたわけです。
贈与の事実は不動産の登記簿謄本だけで十分でした。
特別受益の持戻しによって、不動産そのものは戻ってきませんが、不動産には元々執着していなかったこともあり、こちらとしては金銭で戻って来るのであれば、それで十分だったのです。